大将のプロフィール

生まれる

  • 昭和51年(1976年)12/25 福島県本宮町(現本宮市)に生まれる

6歳~12歳 本宮小学校

  • 小2の時 水泳大会学年1位(学年男子人数は100人くらい) 縄跳び大会学年2位 50メートル走クラス1位の成績 今思えば人生の全盛期
  • 小5から少年野球にいそしむ
  • 当時好きなコンテンツは「ドラゴンクエスト」「ミニ四駆」「プロ野球」「コロコロコミック」「週刊少年ジャンプ」
  • 当時好きなアイドルは「南野陽子」 今も好き

13歳〜15歳 本宮第一中学校

  • 中学校では野球と相撲にいそしむ
  • 相撲では団体戦(5人制)で県大会準優勝 東北大会からはなぜか3人制になり私は補欠に 東北大会出場により学校長賞受賞 一緒に相撲をやっていた友人「W」は高校時代に福島県を制し全国大会出場
  • 野球は3年生時でも補欠
  • 勉強の成績は中の上
  • 当時好きな漫画は「ろくでなしBLUES」「柔道部物語」「スラムダンク」「特攻の拓」「プロレススーパースター列伝」
  • 将来の夢はプロレスラー「前田日明」「スタンハンセン」「天龍源一郎」らに憧れる
  • 当時好きなアイドルは「西田ひかる」 
  • 当時好きな歌手は「ザ・ブルーハーツ」
  • 価値基準は「強さ」「たくましさ」

16歳〜18歳 福島県立安達高校

  • 推薦入試を受ける 推薦入試は不合格…「学校長賞もらっておいて推薦で落ちるやつは珍しい」と囁かれる
  • 改めて一般試験で合格 座右の銘を「結果オーライ」とする
  • スラムダンク人気からバスケ部入部も考えたがラグビー部に入部
  • 価値基準は「強さ」「たくましさ」
  • 一年生の最初から左プロップ(背番号1)としてスタメン その理由はそもそも人数がギリギリなのと、先輩がそのポジションを嫌がるから  卒業後も付き合いが続く愛すべき先輩「S」は、私の同期より丸々一年間長くラグビーをやってるのに補欠になる マジ受けるwww  しかし「S」先輩は今もラグビーをやってるようで、尊敬できる先輩でもある  しかしインスタちょいウザ
  • 勉強 最初の学力調査みたいなテストで上の中(クラスで8位/40人)も 光の速度で低下し1年の1学期の中間テストで下の下 赤点がデフォルト 学年でもワースト10以内 それを3年間キープ 
  • 授業中、教科書の裏に漫画(電影少女ビデオガール)を隠して読んでいて、先生にバレてそのビデオガールで頭をひっぱたかれ怒られる  私の頭でバウンドするように飛んでいったビデオガールは反抗的な生徒「H」に当たる「H」は、私が怒られてる間「痛ってえな〜!」「痛ってえな〜!」と(先生に対して)言い続ける 先生に怒られながらも「H」が気になる
  • 将来の夢は警察官→自衛官  夢が変わった理由は警察官は試験が難しいと聞いたのと自衛官の方が強そうだと思ったから
  • 当時好きな漫画は「稲中卓球部」「右向け左」「東京大学物語」「ライバル」「YAWARA」
  • 当時好きな歌手は「永井真理子」(S先輩とコンサートに行った)「LINDBERG」「シャ乱Q」(大人気バンドになる直前で、郡山の公園で行われた無料公演に行った「シングルベッド」も歌っていた)
  • 音楽好きだったもので「W(相撲のW)」らと「郡山ミュージック劇場」に行くも、行ってみたらコンサートホールなどとは一線を画す場所だった
  • 当時好きなコンテンツは「ストリートファイター2」「カラオケ」「格闘技」
  • 腕相撲の強さは学年2位(推定)
  • 価値基準は「強さ」「たくましさ」
  • 大人気お笑い芸人「三瓶」とは小中高とずっと一緒

18歳〜22歳 海上自衛隊

  • 横須賀教育隊練習員313期第34分隊に所属 教育隊時代に「ある事」が運命付けられる(これは大将堂来院の方にだけ教えている)
  • 教育隊で行われた運動会の騎馬戦 私ともう2人が馬で、上には「K」 相手のハチマキを取るのが目的なのに、「K」は近づく敵の顔面を次から次にポカポカ殴っていく 見上げて「え、なにこの人?コワイ」と思う 班長たちに「K、お前もう降りろ」とハチマキを巻いたまま強制退場 「K」は横須賀教育隊1のワルであった
  • 40歳くらいの「2班長」は2等海曹 冗談のつもりでしょう 同期「N」(18歳2等海士)に「浣腸!」痛かったのでしょう「N」は「痛っってえなあ!!○すぞこのやろう!!」と激おこ下剋上
  • 泣いたり笑ったり、あまりにも多くの思い出が凝縮された5ヶ月 教育隊の卒業式では号泣
  • 潜水艦乗組員としての適正があったため「潜水艦教育訓連隊」へ
  • 潜水艦に乗るのが嫌で、お願いして「潜水艦教育訓連隊」を辞めさせてもらう これはある意味職務放棄と言えるかもしれない
  • 「護衛艦てしお(横須賀基地)」乗り組み 最初は「魚雷要員」 「魚雷」にやりがいを感じられない一方、なぜかヤクザみたいな人たちばかりの「運用」に憧れ「運用要員」になる 荒くれ者たちの中、品行方正につとめる「運用」の仕事はやりがいがあり楽しかった
  • 「てしお」時代、寄港した呉で先輩たちと4人で飲み歩いてたら地元ヤンキーに絡まれる プロレスラーのような身体を誇るJ先輩が応戦しポカポカやっつける しかし馬乗り状態でポカポカ中に警察が来て呉警察署へ連行 人生初の「パトカー」そして「取調室」
  • 「てしお」では平成9年度の飛行幹部ミニ遠航に参加 マニラ 沖縄 父島 グアムなどに寄港
  • 入隊時から「熱望」していた「練習艦かしま」乗り組みの話が私に来る(魚雷要員のままならこの話はなかったはず) 「てしお」から「かしま」へ
  • 「かしま」で平成10年度遠洋練習航海に参加  米国(ホノルル、サンディエゴ、ボストン)、パナマ、ドミニカ共和国、メキシコ(マンサニーヨ)、ベネズエラ(カラカス)、コロンビア、ブラジル(レシフェ、サントス)、アルゼンチン(ブエノスアイレス)などに寄港
  • 「かしま」時代、直属の上官が弱い者いじめをしていたから遺憾に思っていたらそれが自分の態度に出ていて大いに嫌われる  また別の上官には報告が足りなかったためボディブローを喰らう(当時その上官は酔っていた)、が、やり返す  これに関しては自分にも非はある   それぞれ佐世保の兵隊と呉の兵隊だったため「やっぱり横須賀の兵隊のほうが良いなあ、横須賀に帰りたいなあ」と大西洋にて思ったり…       「かしま」(と「しらせ」)は色んな意味で特殊で行動も長期になるので人間関係でつまずくと、本当にキツイ… キツかった…   かしま時代に一番助けられた、お世話になったのは神戸の潜水士だった「K」さん この人がいなかったらヤバかったかも… あ、私ハートは弱いですよ
  • 海自時代、軍港のあるところはほぼ全部(かな?)上陸、他に大分の佐伯、鹿児島の天文館、静岡の下田、伊東、福島の小名浜、三重の四日市、千葉は船橋、館山、北海道は天塩町、小樽、稚内などにも寄港
  • 当時好きな歌手は「オアシス」「メイヤ」「エイス・オブ・ベイス」「スパイス・ガールズ」(ここまで書いてきて初めて羞恥心を感じる)
  • 当時の好きな物、ことは「横須賀」「同期」「バイク」「運用(ボースン)」「ハードロックカフェ」「ナイフ」「シルバーアクセサリー」
  • 20歳 横須賀のどぶ板通りで後の妻と出会う
  • 価値基準は「強さ」「たくましさ」
  • 「定年まで出港と、当直と、合わない人間との仕事、を繰り返すのか?」と思うと嫌になり辞める
  • 「自分がケガをして施術家にお世話になり、施術家にあこがれて」みたいなエピソードが何一つ無いままに治療家を志す
スパイス・ガールズ

22歳〜24歳 カイロプラクティックの専門学校

  • 横須賀から練馬区の武蔵関に引っ越し 自衛隊のときよく遊んでもらった先輩「K」さん(潜水士のKさんとは別)にトラックで手伝ってもらう 感謝
  • ガスト→白木屋→びっくりドンキーでアルバイト  白木屋の社員は自衛官よりヤバイの多いなと感じた  びっくりドンキーではたまに芸能人に会えた
  • サンフランシスコのライフカイロプラクティック大学にて解剖学課程修了  昼食のバーガーショップで注文を終えると「エニシングエルス?」と訊かれ「イエス」とだけ答える  「とりあえずイエスって言っとけば良い」というのは間違い、と、のちに知る  約1週間の解剖実習の日々、授業が終わった夕方、同期のみんなが続々と教室を出るときに「サンキュー!」か「グッバイ!」と言っているので、試しに「グッモーニン!」と言ってみる アメリカ人は笑った
  • 30代で同期会したとき「M」か「I」が「解剖研修のときヘイト・アシュベリーでさあ…」などと言うから「え?ヘイト・アシュベリー?なにそれ?場所?」と訊いたら「はあ!?大将が行きたいって言うから行ったんだぞ!なにいってんの?」と、反射的に総ツッコミを受けるも全く思い出せず

23歳〜 整骨院入社 25歳〜 柔道整復師の専門学校 

  • カイロプラティック専門学校在学中から上石神井の整骨院に入社   入社経緯は「コンビニでアルバイト情報誌「フロムA」を立ち読み」→「あ、近所の整骨院で募集している」→「フロムA買うのはお金もったいないなあ」→「コンビニで 院の名前、電話番号、場所を暗記」→「電話」→「面接」→10名ほどの他の応募者を蹴散らし「採用」→その後20年勤務する 不採用になった人々はフロムA買ったのだろうと思われる
  • 25歳 柔道整復師の専門学校入学  3年連続特待生試験に合格!計150万くらい学費免除(それでも500万くらいはかかった)

25歳 結婚→新婚旅行

  • 結婚式は品川の「プリンツヒェンガルテン」当時学生だったため同級生を二次会に招待! 「一部の人だけ密かに誘う」そういうことがキライなため、クラスの全員が揃ったタイミングで発表及び招待(二次会幹事をお願いしたクラスメート二人『リュウとマナブ』にやってもらう)!結婚式当日が定期試験の前日のためか?30人を招待したものの『リュウとマナブ』以外のクラスメート参加者は2人! 二次会の景品、目玉は「プレステ2」!それを職場の整骨院の院長が当ててしまうという…  披露宴の入場曲は「パワーホール」
  • 1年後の新婚旅行ではスペインへ! セビリアでフラメンコを観るが前に座ってた女性が笑いをこらえているのに気づき、どうやら「バガボンドの本位田又八」似の男性ダンサーの「真顔兼ドヤ顔」に原因があると気づき、笑いが伝染  同場所にて、飲み物は「サングリア」でよろしいか?と訊かれ「スペインにも、あの♪1.2.サンガリア♪のサンガリアがあるのか?!」と驚く→サンガリアとサングリアが別物だと知る
  • バルセロナのピカソ美術館ではすぐに飽きて座る
  • トレドではドラクエみたいに武器屋があり興奮する
  • ファーストフード店で買った揚げ物を食べた妻がパワーワード「コレ、塩よりしょっぱい」私は、和食は塩分が濃いという説に疑問を抱く
  • バーガーショップで1人、妻のためテイクアウトを試みるも全く通じず店長ぽい人はイライラし、バイトのスペイン姉ちゃんはしゃがんでアイスを食べはじめる
ウルフキングと言うメーカーさんが作っているフィギュアの画像です こんなフラメンコダンサー

27歳 スポーツトレーナーの資格取得

  • 「NSCA」の「CPT」 という資格を取得  学校内で60人受験して受かったのは3人、しかし更新がめんどくさすぎる上、お金もかかることから更新拒否  なので今は持ってない
  • 学校の帰りにいつも一緒に帰っていた仲良し同期『リュウとマナブ』と、国試対策のため東京駅の大きな本屋に行く 私が過去問集とかをみていても周囲に2人はいなく「はて?」と探すとリュウは「危険!!毒生物図鑑」を熟読!  マナブは大人用の写真集(外国人のもの)を熟読! 少々呆れるも、リュウは「危険!!毒生物図鑑」を買う 

28歳 国家試験合格 柔道整復師となる  

  • 合格発表を見に行くも、同じく鍼灸の合格発表を見に来ていた整骨院の同僚の「よっちゃん」が「桑島先生受かってたよ!」と言ったことにより、合否を目でなく耳で知る
  • 当時の学校の先生に報告すると「そりゃ桑島さんが受からなかったら誰も受からないでしょう」と言われる ちなみに『リュウとマナブ』も無事合格  その年の合格率は70.4%だったと思う
  • 柔整の同期「N」が浅草で結婚式 式の後、無性にロックンロールが聴きたくなり「ロック座」というところに行ったが、「郡山ミュージック劇場」の時と同じく、やはりライブハウスなどとは一線を画す場所であった

29歳 整骨院院長になる

  • 武蔵関(練馬区関町にある西武新宿線の駅)にて(分)院長となる
  • 施術から各種健康保険の保険請求の仕事、交通事故の自賠責保険の請求まで、もちろんだが全てこなす
  • 当時も施術法は「もみほぐし」と「カイロプラクティック(バキバキ施術)」
  • 分院長時代に1番楽しかったのは早稲田大学の野球部員が大勢来てくれたこと  彼らとは一緒に食事に行ったり、大勢で優勝おめでとう食事会などする  神宮球場には何度も応援に行った  当時の早稲田大学野球部の患者さんのうち、3名がプロ野球選手になる!野球部員スゴイ!→施術していた俺はスゴイ!(とはなりませんよwww)
  • 当時の1番の失敗は骨盤矯正で悪化させてしまったこと  2回ほどそんな経験あり  カイロプラクティックのアジャストというかスラスト(一瞬で矯正するいわゆるバキバキ)は本当に難しいと思う 令和の今でも正確にスラストをやり続けている人は本当にすごいと思う
  • 分院長時代は採用も一部任され、外国人女性(ラムさん)を受付として雇う 採用基準は名前と真面目そうな人柄
  • 32歳 父親となる
  • 整骨院勤務時代のお客様が、ここ井荻にも何人も来てくれていて、心の底からたいへん感謝しております
  • 35歳くらい 操体法を知る  ずっとこれだけ学んでいれば良かったんじゃないか?!と思うくらい素晴らしい施術だと思った
  • アメーバブログでアヤシイ整体師「影男」先生(当時はインチキ院長)に会い、ブログ上及びメッセージで色々とアヤシイことを教えてもらう いや、気づきをあたえてもらう 未だにブログを続けている(言うほどマメには書いてません)理由は「影男」先生に尽きる
  • 当時好きなコンテンツは「アメーバブログ」「ナルト」「ワンピース」「空海」(今も)

43歳 井荻にて「大将堂」開業

  • 開業するので20年お世話になった整骨院をやめる 出勤最後の日は令和2年2月25日と自分で決めさせてもらう その次の日のPerfumeのドームツアー千秋楽、東京ドーム公演を「仕事を休んで」でなく、清々しい気分で観戦するためであった    コロナが猛威をふるいだし、一気に自粛ムードが高まり、前日は開催された東京ドーム公演が2/26だけ中止となる 令和の2.26事件である
  • 開業日は3/4に決める 令和2年の3月4日 2.3.4 これならおバカな自分でも忘れまいとこの日に決める
  • 勘違いされる その1 開業3日目くらいに院の前を歩いていく人が「ここラーメン屋になったんだー」と言う
  • 勘違いされる その2 その3日後くらいに院の前を歩いていく人が「ここ居酒屋になったんだー」と言う
  • グーグルビジネスプロフィールに「チラシが2枚入っていた」という理由で顔も知らない人間に★1つの最低評価を受ける(グーグルのクチコミは半永久的に消えない)自分は絶対に他者に★1つの評価はしないと誓う
  • 44歳 「マルチーズ」の「マシュー」を飼う
  • 現在の施術方法は「筋膜のつながりを考慮したもみほぐし」と「操体法」
  • 好きなコンテンツは「ワンピース」「Perfume」「水曜日のカンパネラ」「ザ・リーサルウェポンズ」「You Tube(視る側として)」など
  • 価値基準は「誠実」「ユーモア」
  • 今日という日に、あなた様が最後まで読んで下さった事に心から感謝している←今ココ

井荻駅徒歩スグの整体院

腰痛専門治療院「大将堂」

090-9141-6753

〒167-0022東京都杉並区下井草5-18-17サニーハイツ104

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